ヒメアノ〜ル ラストシーンのせいで

※おもっくそネタバレです


森田剛の演技が凄いとか凄くないとかもはやそういう問題じゃなくて森田正一がスクリーンの中にいた。

正直に言ってとても見れたもんじゃなかった。

なのに最後のシーンが有ったせいでこの映画について考え苦しめられるようになってしまった。苦しい。

初め喫茶店のシーンは冷静に観ていられた
前から2列目にいたので、剛くんに一番近いわ♡などと冷静に

しかしその喫茶店シーンの森田の奇妙な発言、おじいさんに注意された時にもう吸ってないんで、を繰り返した森田を見て疑いは確信に変わった。

早い段階でコイツ頭いってると客に植え付けることでハードルがあがった。

そして岡田くんのアパートを見上げる森田くん…そこに差し込まれたタイトルと音楽。感嘆の声を上げそうだった。おお〜!と。わくわく、ではないけど、今からヒメアノ〜ルが始まるのね!と、凄いなここに入れるんだ!と思った。壁うすすぎかよ!とも思った。

一人目を殺した時点で「あ、むり」と思った。殺し方があまりにリアルすぎて。ざくっ!ぎゃあ!ばたっ!ではない。ぶすっどすっばきっべちゃっ…生々しい。殺される場所もリアル。カメラワークも、森田を写すんでなく殺される様子を見やすいように写しているように見えた。

大半の客は知っていたはずだ。この映画が衝撃的シーン血も欲もドンドンな映画だと。しかしそれを上回るの事が出来たのはリアルだった故ではないだろうか。監督と森田剛が見せるあまりに自然な直球勝負。リアルを狂気を人間の負を本能のまま追求した映像。

狂人というと突然笑い出したり格好が個性的であったりするのが漫画や映画の中のセオリーだ

でも森田は違う

力をかけたらかけただけ苦しそうな顔をするし淡々とした殺しとシンクロする淡々とした表情無駄のない動き

しかし森田剛のオーラというかな、色気は消えない、から、恐怖も消えない

とまあ今になって色々と考察したくなるのも全ては最後のシーンのせいである。せい、と言いたい。

最後のシーンを見て森田に同情した、森田を殺人鬼にした(?)イジメを憎く思った客は少なくないだろうし、監督も「自分からの森田への優しさ」であのようなシーンをもうけたと語っている(舞台挨拶での発言なのでパフォーマンスだったかもしれませんが)。


この時の同情の対象は殺人鬼森田正一ではなく高校生の森田少年ではないだろうか。


あくまで先を奪われた森田少年、入学時は友だちが出来たことにハニカんでいた森田少年、感受性の豊かな時期にいじめられわずか半年で人前でオナニーをできたりあの目、感情を失うことになってしまった森田少年に同情しているのである。

その同情の対象、可愛い高校生だった入学当時の森田少年に、最後のシーンで戻ってしまったのである。

森田は捕まる。獄中で死ぬだろう。しかしあのシーンで終わるという事は客にとって、可哀想な森田少年が死ぬことなのである。実際もう頭がおかしくなって、あのシーンのように「高校生の森田」から意識は戻らず本人は高校生の心のまま死刑になるかもしれない。仮にあの状態から記憶が戻って殺人鬼森田に戻ったとしても客にはその姿は描かれない。

最後のシーンがあって救われた、という感想を見かけるが私は最後のシーンに突き放された

監督!森田にとっては救いかもしれないですけど客は苦しいです!!